吉田神社 (よしだじんじゃ) 特徴:国土鎮護、健康守護、武道守護、交通安全、縁結びなど
吉田神社
通称 吉田大明神
御祭神名 日本武尊やまとたけるのみこと
鎮座地 茨城県水戸市宮内町3193の2
連絡先 茨城県水戸市宮内町3193の2
電話番号 029−247−6464
FAX番号 029−246−1970
郵便番号 〒310−0834
アクセス方法 JR常磐線水戸駅より関鉄バス吉田神社前下車
ホームページ http://www.yoshidajinja.jp/
E−メール info@yoshidajinja.jp
【境内末社】
国見神社・早歳神社・飯神社・水戸神社・稲荷神社・住吉神社・吉田天満宮・松尾神社・八幡宮・大国主事代主神社・疱瘡守護神社・多賀神社・土師神社・皇太神宮
【祭祀】
元旦祭(1月1日)、節分祭(2月節分の日)、祈年祭(2月17日)、春祭(4月29日)、御田植祭・子供あんどん祭(7月下旬の金曜・土曜)、例大祭(10月中旬の金・土・日曜)、七五三祈願(11月中実施)、勤労感謝祭(11月23日)、大祓(6月晦日、12月晦日)、月次祭(毎月1日、15日)
【由緒】
 水戸市旧下市吉田宮内朝日山に鎮座する第三宮吉田神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀り古来常陸国内第三社と称せられ世人の尊崇まことに厚いものがある。
 尊が東夷を征せられての帰途、常陸を過ぎ兵をこの地朝日山に留め憩わせ給うた故を以って、ここに神社を創建して尊を奉祀したのである。御休憩の場所は今日も三角山と称し境内見晴台の一角を占め神聖な処として永く伝え残されている。当社の創立の年紀はこれを詳にしないが、大宮司田所長経の詞によれば正安4年(西暦1301年)は、御創建以来800余年に当るとある(吉田文書、正安4年左工門太郎平幹盛陳状の文に依る)ので、これより創建の年代を推定すると、実に顕宗天皇(485)仁賢天皇(498)の御代の間に遡るもののようである。後に後鳥羽天皇は建久4年(1193)国司に勅して社殿を改造せられ12月遷宮式を行わせられた。これより後は鹿島神宮(旧官幣大社)の遷宮についで当社の遷宮が行われるのを例とした。次いで亀山天皇は弘長元年(1261)2月20日本社の神位を従一位より正一位に進め給い、陽光院太上天皇(正親町天皇の皇子誠仁親王にして後陽成天皇の父君なり)は、天正4年(1567)3月御手ずから筆を染めて第三宮の三字を記させ給うて、三位大宮司田所清恒に賜り本社の扁額とされた。更に後光明天皇の慶安元年(1648)10月には、大将軍源家光が「吉田宮印」の朱印を下され、権中納言源頼房は水戸に封ぜらるるや尊の功烈を慕われ、その子贈大納言源光圀に至っては、尊崇最も敦く旧制に従って本殿(神明造)拝殿、神殿、神楽殿、宝蔵、階、玉垣等を造営し、八乙女、神楽男五人を置き盛大な斎祀を行われた。尋で吉田古文書97通を装備して4巻に収め宝物とされた、其の後中納言源綱条贈大納言源斎昭共に、深く尊を尊崇して常に盛大な神事を行わせられた。
 現在においても尚毎年10月中旬の土曜・日曜の両日、旧下市周辺を挙げて盛んな御興渡御の神事が行なわれ、細谷町舟渡の那珂川岸に渡御することは今も古例の通りである。尊が朝日山に憩わせ給うた折、舟を藤蔓でつないでこの朝日山に登られたと伝えられている。今に存する藤柄町の町名はこれより出たものであると世人の云い伝えは、その間の消息を伺うに足るものと思う。
 現在三角山のある一角は、見晴台と呼ばれ茨城百景の内でも、特に優れた勝地と称えられているが、この高地に立てば一望千里水戸市を眼下に収め、視界の及ぶところ近くは勝田市、湊の反射炉、遠くは阿武隈山脈のなだらかに起状しつつ静かに尾を引き彼方に達し、まことに史蹟と眺望とを兼ね備えた天下有数の神域である。
吉田神社
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